お知らせ

2026年8月4日火曜日

第6回|車いすは「移動の道具」 ― 正しく使う、という気づき


 連載第6回からは、現場の実務に直結するお話です。今回のテーマは「車いす」。

菊地先生は、開口一番こうおっしゃいました。「車いすを、いまだに『座る道具』だと思っていませんか」。車いすは、本来は人を運ぶための――つまり「移動のための道具」です。長い時間、心地よく座っていただくことを目的には作られていません。

その理由を、先生は分かりやすく説明してくださいました。車いすの座面に張られている布(スリングシート)は、使わないときに折りたたんで収納できるよう、薄い一枚布でできています。一方で、私たちが普段すわっている椅子を思い浮かべてみてください。クッションの下には、必ず硬い板のような面があります。その硬い面があるからこそ、体重がうまく分散され、お尻が痛くなりにくいのです。ところが、車いすの一枚布は、お尻に張りつくように沈みこんで、体重を分散してくれません。そのため、長く座っていると、お尻が痛くなり、かなりの苦痛にもなってしまうのです。

では、私たちは何を変えればよいのでしょうか。まず大切なのは、「車いす=移動のための道具」と意識を切りかえることです。移動が終わったら、できるだけ早めに、しっかり体を支えられる椅子やソファに座り直していただく。やむなく長い時間車いすで過ごす場合には、体重を分散するクッションを使ったり、姿勢が崩れていないかこまめに確認したり、座り直しのお手伝いをしたりする。どれも特別な道具がいるわけではなく、「知っているかどうか」で、明日からすぐにできる工夫ばかりです。

何気なく使っている車いす一つにも、お一人おひとりの体と心地よさを守るための「理由」があります。その理由を知ることが、よりよいケアへの第一歩になる。そう教えていただいた時間でした。次回は、同じく現場の実務から、「食事介助のきほん」についてお伝えします。

2026年7月28日火曜日

第5回|学び続ける ― これからの介護と、必要な医療の知識


 

連載第5回は、「学び続けること」の大切さについてです。

前回も少し触れたように、入院できる期間はどんどん短くなり、治療を終えた方が早めに暮らしの場へ戻ってこられる時代になりました。これはつまり、私たち介護の現場にも、これまで以上に基礎的な医療の知識が求められるようになってきた、ということです。研修では、高齢の方に多い病気を例に、現場で知っておきたい「基本」を教えていただきました。

たとえば、心不全です。心不全は、一度発作を起こすと、心臓の働きが完全には元に戻らないといわれます。だからこそ、弱った心臓に負担をかけすぎないことが大切で、特に「塩分」と「水分」のとり方に気をつける必要があります。先生は、「健康な方と同じように、とにかくたくさん水を飲んでもらえばよい」という思い込みの危うさを指摘されました。良かれと思って一律に水分を勧めることが、かえって心臓に負担をかけてしまうこともある、と。体重が増える、むくみが出る、息切れがする――そんなサインに早く気づき、看護師や医師、ケアマネジャーへつなぐこと。そして、つらそうにしている方には無理に歩いていただかず、そっと休んでいただくこと。その小さな判断の積み重ねが、利用者の安全を守ります。

もうひとつ教えていただいたのが、糖尿病です。食事制限をされている方を見て、「他の方と同じものを食べられなくて、かわいそう」と感じてしまう――そんな優しさが、実は危険につながることがある、というお話でした。糖尿病は、ただ尿に糖が出る病気ではなく、血糖値をうまく調整できなくなる病気です。高い血糖の状態を放っておくと、血管が傷み、やがて深刻な合併症につながってしまう。だからこそ、血糖値を管理し、それに基づいた食事をきちんと続けることが、その方の体を守ることになるのです。「かわいそう」という気持ちの奥にある本当の優しさは、ルールを守って差し上げることなのだと、考えさせられました。

なかでも心に残ったのは、「知っているからこそ、適切に関われる」ということ。知らないままの「よかれと思って」が、思わぬリスクにつながることもある。だからこそ、私たちは学び続けなければならないのだと、気が引き締まりました。網走福祉協会では、こうした学びの機会をこれからも大切にしていきます。職員一人ひとりが知識を更新し続けることが、利用者により安心していただける介護につながると信じています。次回からは、現場ですぐに活かせる「介護の実務」のお話を続けます。まずは、意外と知られていない「車いす」の正しい考え方についてお伝えします。

2026年7月21日火曜日

第4回|看取り介護 ― 最後のひとときに、エピソードを


 連載第4回は、研修のなかでも多くの職員の心を打った「看取りの介護」についてです。

近ごろは、医療機関に長く入院することがむずかしい時代になってきました。治療を終えた方は、早めにご自宅や施設へ戻ってこられます。そうしたなかで、暮らしの場である施設には、これまで以上に「最期まで寄り添う」役割が求められるようになっています。

看取りと聞くと、特別で難しい介護のように感じるかもしれません。けれど菊地先生は、「看取りは特別な介護ではない」とおっしゃいました。日々の介護と同じように、心地よく過ごしていただき、安心して最期を迎えていただく。ただひとつ違うのは、残された時間が限られていると分かっていること。だからこそ、その時間にしかできない「思い出づくり」ができるのだ、と。

先生が紹介してくださったエピソードがあります。もうすぐ白寿(99歳)のお誕生日を迎える女性が、お食事をとるのが難しくなってこられました。医師から、これ以上の無理は本人を苦しめてしまうと説明があり、その日からご家族にもお伝えして、看取りの介護に移ることになりました。その引き継ぎを受けた、担当の若い職員が、施設長のもとへ走ってきて、こう尋ねたそうです。「もうすぐ白寿のお誕生日なんです。それまで、持つでしょうか」。施設長が「お食事をとることができなくなってだんだん衰弱していくから、その日まで命は持っても、お誕生日と分からなくなっているかもしれないよ」と伝えると、その職員は言いました。「お誕生日のお祝いを、早めてはいけないでしょうか」。

ご家族の承諾をとるようにと言われ、その職員は夜勤の合間に、全国に散らばるお子さんたちへ次々と連絡をしました。すると、みなさんが「ぜひ早めてお祝いしてほしい」、そして「私たちもそこに参加したい」とおっしゃった。全国からお子様たちも集まり、なんとか一週間早く、お誕生会を開くことができたのです。十数年ぶりに集まったごきょうだいは、「次に集まるのは母の葬式のときだと思っていた」と、思わぬお祝いの席をともに喜ばれたそうです。後日、ご家族から届いたお手紙には、「母にとって、最高の人生の最期でした」「あんなにたくさんの人に見送られて、母は本当に幸せ者でした」とつづられていました。

特別な技術があったわけではありません。目の前の方とご家族のために、何ができるかを一生懸命に考えた。その積み重ねが、忘れられない最期のひとときをつくります。こうしたケアに触れた実習生が「ここで働きたい」と言って巣立っていく、というお話も印象的でした。私たちも、お一人おひとりの最終章に心を込めて寄り添い、「ここで過ごせてよかった」とご本人にもご家族にも思っていただける介護を、これからも大切にしていきます。次回は、学び続けることの大切さ――これからの介護に必要な知識についてお伝えします。

2026年7月14日火曜日

第3回|言葉づかいとサービスマナー ―「お客様」として向き合う


 連載第3回は、研修で特に時間をかけて教えていただいた「言葉づかいとマナー」についてです。

いま、介護サービスを利用される中心の世代は、いわゆる団塊の世代に移ってきています。日本の経済成長を支え、お客様を大切にもてなす「ホスピタリティ」を当たり前として歩んでこられた方々です。その世代の方が、いざ介護を受ける立場になったとき、ぞんざいな言葉づかいをされると、深く傷つかれます。しかも、多くの方はそれを口に出して言ってはくださいません。「文句を言って、介護をしてもらえなくなったら困る」と我慢し、心のなかで寂しさを抱えたまま過ごされる――そんな方が少なくないと聞き、胸が痛みました。

菊地先生は、丁寧な言葉づかいこそが、利用者の尊厳を護る第一歩なのだと、やさしく、そしてはっきりと教えてくださいました。「タメ口は家庭的で親しみがある」と勘違いしている方もいます。けれど、本来タメ口とは「年下の者が年長者に対等に話すこと」を指す言葉で、親しみを表すものではありません。お客様である利用者に対し、ため口をつかう理由など一つもありません。私たちは、ご家族そのものにはなれません。私たちに求められているのは、家族のような存在ではなく、確かな知識と技術に支えられた、介護のプロとしての温かい接遇なのだ、と。

先生は、言葉づかいがなぜ大切なのかを、ある施設の例で語ってくださいました。もともと、その施設では利用者を「○○さん」とお呼びするルールがありました。ところがある日、一人の職員が、ある方を「ちゃん付け」で呼び始めた。それを誰も注意しないまま放っておいたところ、「ちゃん付け」で呼ぶ職員が少しずつ増え、呼ばれる利用者も増え、やがてニックネームで呼ぶようにまでなってしまった――。たった一つの小さなほころびが、知らず知らずのうちに広がっていく。これは「感覚の麻痺」であり、決して他人事ではないと、先生は戒められました。だからこそ、小さな乱れに早く気づき、そっと整えていくことが大切なのです。

心に残ったのは、「日本語は世界でもいちばん表現の豊かな言葉」というお話です。丁寧な言葉を使っても、親しみはちゃんと伝わる。むしろ、丁寧な言葉で親しみを届けられることこそ、介護に求められるいちばん大切なコミュニケーションの技術なのだ、と。「よそよそしいと思われたくない」と言い訳をして言葉遣いを砕けてしまうのではなく、温かく、ていねいな言葉遣いに。その両立を、私たちはめざしたいと思います。先生は最後に、こう語りかけてくださいました。「よそよそしさを恐れるより人よりも、無礼な言葉で利用者の尊厳や誇りを奪ってしまうことを、何よりも恐れる人でいてください」と。

私たちは、利用者を「お世話する相手」ではなく、人生の先輩であり、大切なお客様として向き合いたい。その気持ちを、まず言葉から大切にしていきます。次回は、人生の最終章に寄り添う「看取りの介護」についてお伝えします。

2026年7月7日火曜日

第2回|人権と尊厳 ―「あたりまえ」を護るということ

 


法人内研修の学びをご紹介する連載、第2回は「人権と尊厳」についてです。

研修の冒頭で、菊地先生はこんなお話をされました。自分の思ったことを自由に話す、好きな服を着る、好きな音楽を聴く、病気になったら医療を受ける――私たちが「あたりまえ」と感じているこうしたことは、すべて「人権」なのだ、と。世界に目を向ければ、それが当たり前ではない国や時代もたくさんあります。人権がきちんとある国・時代に生まれ、いま福祉の最前線に立っている私たちには、その当たり前を護る役割があるのだと教えていただきました。

そして先生は、現場で起こりがちな「実質的な人権侵害」について、具体的なお話をしてくださいました。とても考えさせられたので、二つご紹介します。

ひとつは、あるご利用者が「このお金は息子には知らせないでほしい」とおっしゃったときの話です。認知症もなく、しっかりとご自身で判断できる方が、「銀行は好かんから現金で持ってきた。事務所で預かってもらえないか。ただし、これは息子には内緒にしておいてほしい」と頼んでこられた。このとき、「ご家族に知らせないわけにはいきません」とお断りしてしまう職員は、実は少なくないそうです。けれど先生は問いかけます――その断る理由は、どこにあるのでしょうか、と。身元引受人であるお子さんは、法律上の保護者でも成年後見人でもありません。ご本人が「内緒にしてほしい」と望まれるなら、その願いを尊重するのが本来の姿のはずです。私たちは、つい「ご家族に」と考えてしまいがちですが、主役はあくまでご本人なのだと、はっとさせられました。

もうひとつは、もっと胸に迫るお話でした。ご高齢のご夫婦で、ご主人が施設に入所し、奥さまはご自宅で暮らしておられた。ところが、ご主人の入所中に、奥さまが亡くなってしまった。お子さんたちが来られて、「父はこの状態では葬式に出られないし、母が亡くなったと知ればショックを受ける。葬儀が終わって落ち着いてから自分たちで伝えるので、それまでは内緒にしておいてほしい」と相談された――。さて、私たちならどうするでしょうか。先生は、ここで静かに、けれどはっきりとおっしゃいました。長年連れ添った最愛の方が亡くなったことを、ご本人に知らせない権利が、はたしてご家族にあるのだろうか、と。きちんとお伝えし、できれば葬儀にも参列できるよう支える。ショックを受けられたら、そのときにそばで支えるのが、ご家族であり、私たちの役割なのだ、と。

施設は「集団生活の場」ではありません。これまで自由に暮らしてこられた方の、かけがえのない「暮らしの場」です。お一人おひとりが、その方らしく過ごせること。利用者の「あたりまえの暮らし」を護ること。それが、私たちのすべての仕事の出発点だと、改めて感じた時間でした。次回は、その尊厳を護る具体的な一歩――「言葉づかいとマナー」についてお伝えします。